日本100名城・続日本100名城の完全制覇を基本に、気ままな日本一周バイクの旅を行っています。

2021年7月2日(金)

出発から3日振りで、やっとホテルでゆっくり寝て、元気回復の対馬厳原の朝です。

この日は朝イチで対馬厳原を出発し博多港に戻り、そこからは時間を見ての行動。
つまり、行き当たりばったり。笑
8時50分に対馬厳原出港、13時25分に博多港に到着しました。

福岡市内の渋滞に巻き込まれながら、まずはこの後向かう、大野城水城日本100名城・続日本100名城のスタンプゲットと情報を得に、大野城心のふるさと館に向かいました。

168、86大野城(福岡県)

大野城心のふるさと館で情報を得たところ、どうも大野城水城は一体で、水城はお城というよりも、太宰府を守る大野城から伸びる土塁の様なものと教えてもらいました。
うーん、なるほど。

しかし説明を聞かせてもらっても、イマイチ大野城のイメージができない。
どうやら山全体が、大野城のよう…まあ行ってみるしかないかで、アバウトレッツゴーです。

一番最初の説明板
大野城と百間石垣・説明板

百間石垣

大野城心のふるさと館の方から教えてもらったアドバイスどおり、北からアクセスすると、百間石垣って名所が現れました。

バイクも止めにくい場所ですが、立派な石垣です。

大野城・百間石垣
上段に見えるなかなかの迫力。
半分登ってパシャリ。
長さ180m、大野城で一番大きい石垣だそう。
百間石垣上から見た景色。
百間石垣全景

百間石垣から進んで行くと、県民の森という場所がありました。
ここで有意義な情報をゲット。

この絵を見て、大野城全体のイメージができました。
イメージできてないと、見学ツラいからね。笑
上記写真とつながってた、こちらの案内図もイメージしやすい絵だ。
どうやら大野城中枢に到着。
なにやら怪しげな石碑を発見。
ここが大野城か?
うーん、なんて書いてあるか?読めん。
え、岩屋城?

岩屋城って、あの高橋紹運の…おっ向こうの方にも石碑が…。

怪しげな石碑、再び発見。
おおー大野城碑発見。
しかし岩屋城と同じところに石碑があるって事は…そーいうこと?
石碑からの眺め
土塁っぽいモコモコがある。
これはもう美しい土塁。
上記写真の反対側
土塁上が歩けるぞ。
土塁上から見える景色。
ナビ確認すると、太宰府の東の町のようだ。
土塁上進むと発見。
大野城と四王寺山・説明板
大野城、四王寺跡碑
大野城の場所は特定、しかし岩屋城って。。。おまけへ続く。笑

169、182水城(福岡県)

大野城を後に、岩屋城高橋紹運家来衆の墓所を発見、見学後、太宰府を通って水城に到着しました。
見どころ満載、しっかり見てたら移動できひんね。笑

水城は大和政権の古代、太宰府を守るために作られた、大野城から伸びる防衛ライン・土塁のようなものでした。
歴史好きやけど、古代の歴史は苦手なんやよなー。笑

水城到着。
大堤之碑、備中高松城みたい。
こちらの碑は史蹟水城趾
後ろのもっこりが、もうお城。
水城東門跡・説明板
東門跡
これが少しずつ緩やかな登りで、大野城の四王寺山に続いている。
丘からみた水城跡・説明板
道路も高速も越えて、ずっと伸びていく。

まさに秀吉が築いた、備中高松城水堤の超デカい版。
そんな水城でした。

170、184基肄城(福岡県・佐賀県)

金田城も、大野城も、水城も、そしてこの基肄城もそうなんですね。
現在の朝鮮半島の軍勢から、太宰府を守るために作られた城なんですね。

天智天皇時代の663年、白村江の戦いって戦で敗れた倭軍(今の日本)が、国土防衛のために作らせた朝鮮式山城と呼ばれる、シリーズお城だったんです。

だんだん説明文を読み込んで、理解してきました。笑
水城から40分ほどで着いた最後のシリーズお城は、なんとスキー場でした!

特別史跡・基肄城、説明板
じゃーん、基山草スキー場。
てっぺんの台地のようなところが、もしかして城郭?
じゃーん正解でした。笑
登ってみたら、城郭でした。
特別史跡・基肄城跡碑と説明碑
特別史跡・基肄城跡、説明碑
方角案内図
方角図のままの景観。
北へ伸びる城郭
南へ伸びる城郭
左方向に、もっこり丘を発見。
もっこり丘に接近。
どうやら水門・南門跡らしい。
ぱっくり、道がある。
ぱっくり道アップ
丘に登ると、神様が現れました。

曇ってるので撮影しませんでしたが、こちらからは久留米、佐賀の町が一望できる素晴らしい景観でした。
城郭中心からはムービー撮影しましたので、こちらから見て下さい。→→→まさ旅wz MASAtabiwz

神様がある岩。
大きな岩は、やっぱり信仰の対象になるんやね。
天智天皇欽仰之碑
南から、城郭全体を眺める。

スキー場がお城ってのは初めてでした。笑

福岡県と佐賀県の県境にあって、登って来るのはちょっと大変やけど、登ってみれば絶景。
のんびり気持ちの良いスペースの基肄城でした。

171、183久留米城(福岡県)

時間はすでに18時を過ぎて、久留米に向かいながらホテル探し。
ない…ない…着いた…で久留米城、見学開始です。笑

登城口、横ヅケです。笑
久留米城本丸址碑
久留米城趾・説明板
現在の本丸跡には、篠山神社がある。
18:36の景色。
北・西は筑後川が守っている。
篠山神社
久留米城跡案内マップ
東側に残る石垣。
右の石垣は月見櫓跡。
東側に残る石垣。
東側に残る石垣、南端。

この後、次の訪問城がある佐賀県に向かってホテル探しに行くんですが、移動中、筑後川沿いに見える久留米城は森のようでした。
往時は東は堅固な石垣、北と西は筑後川に守られた堅城であった事がよくわかった久留米城でした。

おまけ

岩屋城と高橋紹運・家来衆の墓所

大野城から太宰府方面に山を下って行くとき、ついに発見した岩屋城高橋紹運家来衆の墓所
ちょっと話、横道逸れますが、この太宰府に向かう下り道、ヤバいです。
真夏のコケ、日陰で濡れてる、急カーブ、落差でかい、冬場なんかは絶対近づきたくない道でした。笑

話戻って、大野城は知らないお城でしたが、岩屋城高橋紹運は1000に満たない兵で島津軍5万と戦い、玉砕討死の勇将として知っていました。

大野城は古代の城、その跡地に戦国の城・岩屋城だったんですね。
なるほどのナットク、いろいろ勉強になりました。

高橋紹運・家来衆の墓所

高橋紹運公墓の案内板
下りの滑りそうなコーナーで、いきなり現れる。笑
高橋紹運墓所から、水城にも道がある。
高橋紹運墓所・お願い
高橋紹運と家来衆の墓
島津軍5万と戦った戦没者之碑

岩屋城

墓所のすぐ近くに、岩屋城跡説明板も発見。
5分かからずに本丸跡、岩屋城址碑発見。
嗚呼壮烈の文字も…まさにその通り。
本丸跡から見える景色の説明板
本丸跡から西の景観
中央、緑の道のように見えるのが、この後向かった水城。
本丸跡から中央の景観
中央、整地された四角の場所が太宰府跡。
本丸跡から東の景観
太宰府、東の町並みです。
本丸跡から、ぐっと引いて全体の景観。

岩屋城本丸跡から、ムービー撮影しました。
こちらから一覧できます。→→→まさ旅wz MASAtabiwz

後記

対馬から博多に戻ったのが13時半。
時間的にも、大野城水城の2城くらいの見学かなって思ってたんですが、苦戦しそうな大野城が案外早く見学できた事で、基肄城にまで足を伸ばす事ができました。

そして久留米市で宿泊すべく、ホテルを探すんやけど…ない。笑
そうこうしてるうちに久留米城到着。笑

時間は18時を回っていましたが、見学できるようなので、この日4城+1の城攻めになりました。
うん、昼からやのによー回った。笑

結局佐賀県入りし、佐賀駅前でホテルを発見。
翌日の雨予報に対して、佐賀城すぐそばの好立地で宿泊できました。
結果オーライ。笑

こんなけ行動できたのは、陽の長さ。
この時期九州って、日没19時半くらいなんですね。

1日が長く使えるのはうれしいけど、調子乗ってグダグダにならんように…です。笑