日本100名城・続日本100名城の完全制覇を基本に、気ままな日本一周バイクの旅を行っています。

2020年11月14日(土)

コロナ第3波で、三度騒がしくなってきたこの頃。
巣ごもりばかりもアカンので、休日の朝、空いた電車に乗って大阪城へ行ってきました。

自宅から30分ほどで、JR大阪城公園駅に到着。
JR大阪城公園駅はお城の北東にあって、大阪城ホールのすぐそばにある駅。
大阪城見学のときの、ほとんどのアプローチは南西の大手門から行くんやけど、今回はちょっと理由があって、北東からのアプローチで出発しました。

1月9日(木)、今年のスタートとして選んだ地元大阪城は、日本100名城・続日本100名城29城目の登城をしたお城でしたが、それから旅を重ねて以降この日まで10ヶ月ほど、合計164城のお城をめぐってきました。
う~ん、頑張った。笑

今回今年2回目の大阪城は、自宅のある通天閣まで、以前からやってみたかった大坂の陣をたどる旅です。
って言っても自宅までの道のり5㎞ほど、散歩しながら帰っていくだけなんですけどね。笑

大坂城

☆日本さくら名所100選☆

季節が厳しくなって、バイクに乗れなくなったらやろうと思っていた大坂の陣をたどる旅。
大阪城から南へ、冬の陣・夏の陣の戦場を実際に歩いてみました。
出発は大阪城北の登城口、極楽橋です。

極楽橋

北から、本丸へ向かう極楽橋
極楽橋・説明板
少し離れた所から、本丸石垣と極楽橋を眺める。
橋のたもとから、東方面の景観
孤高の鳥が佇む。笑
橋上景観
橋上からの眺め、紅葉見頃です。

今回の旅の出発点、極楽橋
このなんでもない橋を主役にするために、北からのアプローチにしたわけですが、その理由は…後日…なんやそれ!笑

山里曲輪

極楽橋を渡ると、すぐに山里曲輪
1615年大坂夏の陣で敗れた、豊臣秀頼、淀殿ら自刃の地です。
豊臣時代の天守閣は少し離れた場所やけど、現天守閣のすぐ北側に当たります。

極楽橋渡ってすぐの紅葉、山里曲輪の入口。
紅葉に隠れて、ちょこっと天守閣。
豊臣秀頼、淀殿ら自刃の地
どなたか、ロウソクに火が入ったばっかりだった。

天守閣三景

朝8時、山里曲輪側から、陽を背に紅葉の天守閣
山里曲輪側から、天守閣近景
陽が当たって、本丸からの天守閣

内堀

冬の陣で講和が成立した後、〝内堀外堀も徳川勢に埋められてしまい裸城になってしまった〟ってな事ですが、そんな短期間でこんな広大な堀がホンマに埋めれんのかなぁって、いつも思ってしまいます。
まあホンマなんやろうけど…すごいなぁ。笑

内堀・説明板
内堀・本丸石垣
右隅に、ちょこっとだけ極楽橋
北から南を眺める、内堀・本丸石垣
南から北を眺める、内堀・本丸石垣
石垣に張り付いた草木の紅葉が、めっちゃきれい。

外堀

東外堀・説明板
東外堀からの景観
合わせ鏡の様でめっちゃきれい。
南から北へ、外堀の景観
美しい紅葉

わざわざ紅葉をねらって、大阪城にやって来たのは初めての事でした。
ホンマに綺麗もんです。
そして極楽橋極楽橋。。。
もう少し謎なままで…。笑

越中井・細川ガラシャ最期の地

今年の大河ドラマ〝麒麟がくる〟の主人公明智光秀。
その娘がことガラシャその人です。
このブログでも、🏍秀吉vs光秀🏍の勝龍寺城の中で取り上げました。

今回の旅は大坂の陣ってことで、1614年・1615年に照準を合わせてたんですが、ちょい時系列バラバラに、1600年関ヶ原の合戦時に戻って、ガラシャ最期の地を見てきました。
大阪城から南へ、1kmも離れていないところにその地があります。

越中井・細川屋敷跡、ガラシャ最期の地
この辺りの旧地名が越中町、夫細川忠興の官位越中守からきている。
越中井由来・説明板

越中井から5分と離れていないところに、教会がありました。

教会前に立つ、細川ガラシャ像
ガラシャ像と並び立つ、もうひとり、有名なキリシタン大名高山右近像
ガラシャ・説明板
ガラシャ・最期の説明板
高山右近・説明板
教会
たぶん右上の絵はガラシャ、左上の絵はユスト高山右近
この部屋入った瞬間、なんとなくそう思った。

真田丸

越中井・教会からさらに南へ10分ほど歩いたところで、伝・真田丸に到着しました。
1614年大坂冬の陣で、武勇大いに名を上げた真田幸村(信繁)、その活躍の舞台です。

真田丸がどこにあったかは諸説ありますが、以前NHKの〝歴史秘話ヒストリア〟で放送してたのが、科学的ですごい信憑性がありました。
いろいろ見たり聞いたり教えてもらったりで、オレはココって思ってます。笑

心眼寺
このお寺周辺と、向かいの学校一帯が真田丸
心眼寺前の道路、南へ上り坂
右側が学校グラウンド
少し引いて、上下段差が激しい複雑な地形
この辺りは北の堀
心眼寺入口右にある、真田幸村出丸跡碑
境内にある、真田丸出城跡・説明板
境内にある、真田信繁(幸村)之墓
真田信繁之墓・説明板

この寺院周辺が真田丸で、ここより南からやって来る徳川軍を迎え撃ったんやね。
うーん、歴史ロマンや~。笑

そしてもうひとつ、グーンと時間を現代に近づけて1868年1月。
この境内に京都見廻組、桂早之助のお墓がありました。
桂早之助は、坂本龍馬を斬ったと言われてる小太刀の名手だった人です。

龍馬を斬った後、2ヶ月と経たずに戊辰戦争初戦で負傷、戦死。
幕軍敗走の中、ここに葬られたんやね。

ここはなんか不思議な場所。
1614・1615年は徳川軍が思い切り攻めて来てて、1868年は徳川軍が思い切り敗走してる。
うーん、歴史ロマンや~。笑

心眼寺入口左にある、京都見廻組、桂早之助・渡辺吉太郎墓所の碑
京都見廻組、桂早之助・渡辺吉太郎のお墓
龍馬ファンとしては「コラ~」って思うけど、笑、よく頑張りました。
京都見廻組、桂早之助・渡辺吉太郎・高橋安次郎の説明板

天王寺七坂

上町台地

大阪城から真田丸もそうやけど、この辺りは上町台地と呼ばれる台地で、起伏がけっこうあります。
大阪城から南下して、ずっーと歩いてきたら地形がよくわかります。

真田幸村緒戦勝利之碑
途中こんなん見つけた。
徒歩やなかったら、なかなか見つからない。

難攻不落の大坂城に、唯一の弱点と言われてた城の南側。
こちらから攻めてくる徳川軍とは、きっとこの上町台地を利用して戦ってたんでしょうね。

大阪では南北の道は〝筋〟、東西の道は〝通り〟と呼ばれます。

真田丸を離れること、のんびり散歩で30分。
谷町筋と松屋町筋の間に、天王寺七坂と呼ばれている名所があります。

この天王寺七坂をめぐりながら、真田幸村(信繁)戦死の地・安居天神、そして冬の陣では徳川家康、夏の陣では真田幸村の本陣となった茶臼山を目指して、テクテク進んで行きました。

谷町筋と松屋町筋の間の天王寺七坂
肌感で、ビル4階分くらいの上下段差は十分ある。

まず一番最初の天王寺七坂真言坂からスタートです。

一、真言坂

いちばん北にある真言坂
天王寺七坂は基本東西の坂道なんやけど、ここだけ南北の坂道と東西の坂道、二坂合わせ持ってます。

南北の道、松屋町〝筋〟に面した東西の坂
高地から見た、南北の坂
坂を下りたところに面してるのが東西の道、千日前〝通り〟
南北の坂の正面に、生國魂神社
真言坂・説明板

二、源聖寺坂

真言坂から南に進んで、二番目の源聖寺坂
坂のすぐ近くに新選組の旅宿のひとつ、萬福寺がありました。

萬福寺
新選組大坂旅宿跡碑
新選組大坂旅宿跡・説明板
松屋町筋に面した、源聖寺坂
坂の途中から振り返り
坂の途中からてっぺんへ
てっぺんから振り返り
源聖寺坂・説明板

三、口縄坂

松屋町筋に面した、口縄坂
いちばん幅狭な坂です。
てっぺんから振り返り、風情がある
坂中の善龍寺にある説明板
口縄坂・説明板

口縄坂から4番目の愛染坂に向かう途中、またまた発見してしまいました。笑
伊達家・陸奥家墓所跡、カミソリ大臣と呼ばれた陸奥宗光のお墓があった場所です。

ほんでこの地には薩摩藩家老、小松帯刀も埋葬されてたんやって!
この人も若くして亡くなったけど、生きてはったら、西南戦争も違った形になったかもしれませんね。

大久保利通や五代友厚、原敬といった歴史上の偉人が、ご近所さんを訪れてるってのもちょっとビックリでした。

伊達家・陸奥家墓所跡
伊達家・陸奥家墓所跡、説明板
小松帯刀墓所跡碑
もともとは夕日岡やったんや

四、愛染坂

愛染坂の上にある、愛染堂
境内にある市内最古の木造建造物、多宝塔
多宝塔・説明板
西、低地から見る愛染坂
東、高地から見る愛染坂
愛染坂・説明板

五、清水坂

ちょい昔、早朝トレーニングでダッシュしてた清水坂です。

西、低地から見る清水坂
おまけ、今年のお正月に歩いたときの一枚
東、高地から見る清水坂
清水坂・説明板

清水坂の横に、清水寺というお寺があります。
そう、京都の清水寺と一緒の名前。
ほんで清水の舞台もあるんです。
なんかすごい、京都の清水寺と関係があるんかな?よーしらんけど。。。笑

清水舞台

まさに上町台地の急斜面上にある、大阪の清水の舞台。
4階建てくらいの高低差があります。
見晴らし良、真ん中に通天閣が見えています。

ほんで境内に大阪市内唯一の滝、玉出の滝もあるんです。
すごいでしょ。(完全に地元自慢、笑)

玉出の滝

この門をくぐると聖域
玉出の滝
ちょろちょろやけど、滝行をされてる方もいてはるんです。
おまけ、今年のお正月にお参りに来たときの一枚

六、天神坂

清水寺の南横にあるのが、六番目の天神坂
この天神坂と七番目の逢坂の間に、真田幸村(信繁)戦死の地、安居天神があります。

西、低地から見る天神坂
おまけ、今年のお正月に歩いたときの一枚
東、高地から見る天神坂
天神坂・説明板

安居天神

真田幸村、戦死の地と伝わる安居天神
戦後、日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と称えられた、幸村最期の激戦の跡地です。

逢坂に面した安居天神
真田幸村戦死跡之碑と幸村座像
真田幸村陣没の旧跡・説明板

七、逢坂

最期の逢坂は、普通に国道25号線でした。笑

ここも写真奥、天王寺方面に向かって、また天王寺近辺もけっこうな勾配があります。
守り手にすれば天然の堀で守備どころ、攻め手にすれば突破しなければならないところ。
特に夏の陣では、上町台地の南の終わりのこの辺りの斜面が、最大の攻防の境目だったんでしょうね。

陸橋上から逢坂をパシャリ。
右の大きな屋根が一心寺。

一心寺

逢坂沿いに、歴史深い一心寺があります。
ここに徳川四天王・本多忠勝の子、忠朝が眠っています。

紅葉美しい一心寺
おまけ、一心寺門
今年のお正月にやってきたときの一枚

本多忠朝の墓

関ヶ原の合戦、大坂冬の陣・夏の陣でも活躍した本多忠朝
冬の陣でお酒飲み過ぎで失敗し、汚名挽回、夏の陣で頑張ったが、天王寺・岡山の戦いで戦死してしまった。
死に際して「酒のために身を誤るものを助けん」って誓って亡くなったそうです。

本多忠朝の墓
お墓の周りに、しゃもじに書かれた祈願がいっぱいある。
酒封じ祈願・説明板

茶臼山

大阪城を出発して、たぶん5kmくらい。
のんびり歩いて3時間、一心寺のすぐ南にある最終目的地、茶臼山に到着しました。

大坂冬の陣では徳川家康、夏の陣では真田幸村の本陣になった歴史の舞台です。

大坂の陣史蹟、茶臼山碑
茶臼山山頂
きっと2016大河ドラマ真田丸の影響、以前より案内板が増えていた。
真田幸村・説明板
英雄になった真田幸村・説明板
真田幸村名言・説明板
山頂、標高26M
アカン、またツボった!
可愛らしすぎて、なんか笑える。
ちゃんと徳川、真田、両家の家紋が描かれている。
茶臼山そばの道
紅葉が美しい
茶臼山そばから眺める、あべのハルカス
池を挟んで、茶臼山とあべのハルカス
昔の激戦地も、今は平和だ。
茶臼山全景
今回の旅の終着点、我が町通天閣
平和な時代で幸せやね。

後記

まだまだ探せばいろいろ出てきそうな上町台地
バイクや車でサラッと流すだけでは、わからない、感じない事ばかり。
勝手知ったる我が町と思っていても、歩いてみれば知らない事ばかりでおもしろかったです。

休日の土曜日、お昼の通天閣
まだまだ人はまばらです。

そして最後に、今回の旅の出発点となった極楽橋
えーっと…もうちょっと引っ張って、次回のブログでこの旅の企画に至った経緯、理由を書きたいと思います。

投稿者

まさwz

大阪在住。ゴルフコーチで営み、バイク、サックス、株式投資を愛する一般市民です。 日本の天守閣めぐりの旅を基軸に、日本二周目の気ままなバイク旅を行っています。

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