日本100名城・続日本100名城の完全制覇を基本に、気ままな日本一周バイクの旅を行っています。

2020年8月1日(土)

バリバリに暑い最終日、岐阜から西へ走れば200㎞ほどで大阪に戻れるが、北東へ70㎞、郡上八幡へ向かいました。

朝からバイク温度計30度を超えるなか、長良川沿い涼しく、めっちゃ気持ちよかったです。

139、141郡上八幡城(岐阜県)

昔、雪山に遊びに来てる頃はこの辺りもなじみがあったけど、真夏は初めて。
でも本来、夏が有名なところなのかな?
長良川で、たくさんの釣り人が、鮎釣りやってました。

〝内助の功〟語源説もある山内一豊、千代夫婦像
間に天守閣
説明板
案内図
登城口
駐車場から10分ほどで登れる
ビューポイントからナイスアングル
こちらもビューポイント
かっこいい
天守閣入口
天守閣
反対から見た天守
天守から、西の眺め
正面、赤谷山城跡
赤谷山城の戦い、説明板
天守から、南の眺め
美しい城下町
吉田川支流、小駄良川
天守から、北西の眺め
吉田川支流、小駄良川が美しい
天守から、北東の眺め
山間に向かう町
城内展示物〝日本一〟
城内

コンパクトやけど、すごくまとまっていて、その形が美しい町。
冬の季節はきびしいやろうけど、昔から良い時間を過ごしてきたんやろなって感じる、そんな城下町の中心、郡上八幡城でした。

城下町

帰り道、先日の大雨の後片づけを、町ぐるみでみなさんやってはりました。
個人では落ち込んじゃうようなところ、多人数の力を見たような気がします。
都会では見なくなった光景、うらやましくも思います。

長良川支流、吉田川の橋上で信号待ちをしていると、あまりの美しさにパシャリ。
ホンマに綺麗です。
今度は絶対水遊びしよっ。笑

長良川から分かれてすぐの場所、吉田川
古き良き日本の夏って感じ

眺める岐阜城

郡上八幡から岐阜に戻る道は、行きの国道156号線ではなく、途中から県道94号線に入り、西行南下。
このルートで来ると、今まで見た事のない角度からの金華山、岐阜城が見れて新鮮でした。
信号待ちのたんびに、パシャリしてました。笑

ここ1年で2回くらい登城してるんで、岐阜城には今回登らへんかったけど、いつ見ても金華山頂にちょこんと座ってる天守は、可愛らしくも威風堂々でかっこいい。

コンビニで休憩、堤防に登って金華山を西に見てパシャリ
長良川沿いを走る、県道94号
だいぶ近づいた金華山
大阪人からは、見ることの少ない角度の岐阜城だ
岐阜城を東に見る
まいどの角度
振り向いて、まだ見てる。笑
長良川きれい

140、144大垣城(岐阜県)

今回の旅、最終目的地になった大垣城
初訪問です。

町のど真ん中、城跡碑
町のど真ん中、入口
案内図、説明板
かつての水害、石垣に浸かった印
天守閣
中は歴史博物館
構造、説明板
関ヶ原の戦いの重要地、大垣城
説明板
ジオラマ

今は模造天守で、わずかな敷地のみの大垣城
でも太平洋戦争で焼失するまで、国宝やったんやって!知らんかった。
国宝のまま天守が残ってたら、大垣の町の有り様も、全然変わったものになってたろうと思う。

そして関ヶ原の合戦で、石田三成が籠った本拠城。
この城で作戦を立案し、出陣した城。
残ってたらなぁ、惜しいね。

帰途、関ヶ原

大垣を後にして、まいどの帰り道、琵琶湖湖岸道路に出るべく関ヶ原を通過。
以前遊んだときの写真をアップ、また関ヶ原もゆっくり来よう。
今は早く、Zからバックを降ろしたい。笑

史跡案内図
笹尾山、石田三成陣地からの眺め
戦いの推移説明板
宇喜多秀家、陣所跡碑
徳川家康最後陣地、説明板
徳川家康最後陣地、幟
琵琶湖景

琵琶湖湖岸道路にはキャンプ場がたくさんあるが、この日は土曜日とあってか、家族連れ中心にすごい人だかり。

本州戻ってからは雨続き、結局キャンプしたのは北海道初山別が最後で、ずーっとホテル住まい。
空いてたら、テントで一泊寝て帰ったろかななんて思ったけど、ムリ。笑
ほんで想像もできんかったけど、暑くて寝れんと思う。笑

この秋、涼しくなったら、中国地方の城めぐりでキャンプしようと思う。

墨俣一夜城(おまけ)

郡上八幡から岐阜を抜け、大垣に至るすぐ近くに墨俣城があります。
木下藤吉郎、のちの豊臣秀吉伝説の地。
ずっと来てみたかった場所です。

出世橋、瓢箪がお出迎え
欄干にも瓢箪
もともと天守はないお城
現在は歴史博物館
こんな馬柵に、屋敷があった程度の城のよう
また瓢箪
大阪府旗にもなっている
天守から金華山を見る
稲葉山城を攻めるための、前線基地として作られた
天守から犀川分岐
中央にZ。笑
天守より、西の眺め
大垣城はすぐ、10㎞ほど
山間の一番低いところが街道、関ヶ原の辺り

秀吉の名が歴史に現れ始める、後の石垣山一夜城築城のような片鱗見せ始める、そんな伝説が残る墨俣の地です。

後記

6月2日(火)~6日(土)の5日間、コロナの様子や必要荷物の点検整備など、プレ旅で四国一周。

四国一周、青→黄→赤

6月15日(月)、北海道根室半島チャシ跡群を目指して、旅出発。
6月29日(月)、函館へ渡る。

前半航路、青→黄→赤

7月3日(金)、目的地、根室半島チャシ跡群に到着

北海道2600km、青→黄→赤

7月12日(日)、青森県大間に戻る。

後半航路、青→黄→赤

8月1日(土)、大阪帰着。
48日間、まわった日本100名城・続日本100名城の数95、総距離8412.6kmの旅でした。

旅の大きな目的〝体学問とモチベーション
これは大きく達成できた。
まだ南、西への旅が残ってるけどね。

良いものをたくさん、この目で見る事ができた。
見たものを考える時間が、たっぷりあった。
なにがやりたいのか?はっきりわかった。
新しい野望も、芽生えてしまった。(これっ余計、笑)

楽しいね、めっちゃおもしろい良い旅でした。
生きてきた時間に向き合えて、一区切り、ホンマに一区切りつけれた旅でした。
良かった。

最終日は、8時から20時の300㎞ラン。
大阪に帰ってきて、月を見た。
よー考えたらこの48日間、月を見てない事に気づいた。
夜はバイクに乗ってた事は、なかったからね。
こんな事に気づいて、喜んでる感性がおもしろい。

48日間、8412.6km

8月2日(日)、めちゃくちゃ綺麗に、Z、整備してあげました。
この旅の神髄も、ここにあるのかもしれない。

コカしてもしまった、ミラーも折れてしまった、チェーンはサビだらけ、後輪タイヤはパンクした、前後輪タイヤの溝だいぶ減ってる、ボディに細かい傷がかなり増えた、整備してるといっぱいZの頑張りが見えてくる。

Zはホンマは、今回のような旅には向いてるバイクやないね。
でもオレにとっては、Zやないとアカンかった旅やしね。
ムリかけた。

エンジンが元気でも、チェーンがないと伝われへんし、伝わってもパンクしてたら走れんし、そもそもシートなかったらケツ死ぬし、笑、旅の荷物も乗せられへんし、スタンドなければ支えてもらう事もでけへん。

洗車して整備してたら、そんな事にも気づいていく感性。
当たり前の事やのにね、それがね、おもしろい。

今日8月4日(火)は、バイク屋さんでオイルもエレメントも交換、チェーンも調整、油も入った、ミラーも修理してもらって帰ってきた。
バイク屋の大将に、もうコカすなよって言われた。笑

さあ、Z完璧。
明日から、またいつでもスタートできる。
いつから次の旅、スタートしようかな。笑