日本100名城・続日本100名城の完全制覇を基本に、気ままな日本一周バイクの旅を行っています。
2021年5月31日(月)
残念ながら緊急事態宣言が、再延長決定になってしまって3日目の5月末日。
ここ3日ほど、ええお天気が続いています。
冬場や曇りや雨やとなんとも思わんのやけど、晴れはアカン…。
例によって、「あー外出てぇ、あーぶっ飛ばしてぇ」病になってしまい、気がついたら勝手にエンジンがかかってて、ハンドルを握ってて、知らんまにタイヤがぐるんぐるん回ってて、ビューンって…不要不急のぶらり旅に出かけてしまっていました。(通算3回目、すんません。)
行先は奈良県、大和の国。
大和豪族柳生石舟斎から歴史の表舞台に登場する柳生家、大和戦国大名筒井順慶、そして戦国の梟雄と呼ばれた松永久秀ゆかりの地をめぐってきました。
柳生の里
よく行ってるゴルフ場のすぐ近く、まいどの通り道ではあるんやけど、じっくり見学するのは初めてでした。
特に阿対の石仏と十兵衛杉以外は見るのも〝初〟です。
阿対の石仏(あたやのせきぶつ)
ここはホンマにゴルフ場の入口。
いつもなんかあるなぁって思ってたんやけど、こんな歴史のあるもんやとはまったく知りませんでした。
柳生街道、北の入口です。
十兵衛杉
十兵衛杉の存在を知ったのは、10年ほど前の事。
ゴルフ場からの帰り道、友達に教えてもらいました。
しかしいつも車から眺めるだけ。
近くに寄って触れたのは、今回が初めてです。
さあひさびさ、選べないシリーズになってしまいました。笑
松江城以来かな、一枚だけええ写真を選ぶんやけど…選べない。笑
めっちゃええ天気も決まってて、選べない。笑
うーん、無難な③あたりで決めとくか…選べないので、全部のせました。笑
初めて十兵衛杉に触れました。
枯死してるのに、触ったとたん、なんかパワーめいたものを感じました。
そんな事は言わんオレやけど、なんか、なんか感じました。笑
剣道6級のオレやけど、剣豪の素質が目覚めたかな。笑
十兵衛杉、触って良かったです。
柳生古城
十兵衛杉の向かいの山に位置する、柳生古城です。
10分かからずに登れました。
旧柳生藩家老屋敷
柳生藩幕末の家老・小山田主鈴って人の旧邸で、大河ドラマなどでも有名な作家山岡荘八さん所有のときでもあったんやって。
旧柳生藩陣屋跡
旧柳生藩家老屋敷から徒歩でも来れる距離にある旧柳生藩陣屋跡です。
平和な江戸時代、政庁があった場所。
戦国時代なら城跡ですね。
柳生八坂神社
旧柳生藩陣屋跡の北側に、八坂神社がありました。
柳生家菩提寺・芳徳禅寺と天乃石立神社・一刀石
旧柳生藩陣屋跡と街道を挟んで反対の山に、柳生家菩提寺・芳徳禅寺と山深い地にある天乃石立神社・一刀石を見に行ってきました。
芳徳禅寺(ほうとくぜんじ)
柳生家の菩提寺です。
天乃石立神社
登山開始20分ほどで、天乃石立神社入口鳥居に到着。
まっすぐ来たら10分ほどかな。
さらに5分かからずに、天乃石立神社へ到着。
一刀石
ここを見に来たわけやけど、天乃石立神社も含めて、雰囲気の良い森です。
一刀石の先も、森は続いていました。
もっと森深く、先に歩いて行きたくなる良い雰囲気、天乃石立神社・一刀石でした。
筒井順慶ゆかりの地
柳生の里を離れ、ナイスドライブ。
ご飯を食べて2時間後、12時半に奈良県大和郡山市筒井城跡に到着です。
筒井城跡
松永久秀と激しい攻防を繰り広げた筒井順慶。
たくさんの戦いの後、最終勝者となった順慶の筒井城も、現在は広っぱが残るのみです。
五輪塔覆堂(筒井順慶墓)
筒井城跡から南へ2kmほど移動したところに、筒井順慶のお墓がありました。
松永久秀ゆかりの地
後の城作りに大きな影響を与えたとされる多聞城。
多聞櫓と呼ばれる造りも、天守の先駆けになる櫓も、この城から始まったと伝わる。
そして松永久秀、最期の地となった信貴山城。
大和戦国大名、戦国の梟雄と呼ばれる松永久秀ゆかりの地です。
多聞城跡
奈良の地を見下ろす佐保山に、築城された山城の多聞城。
現在は中学校の校地になっており、西側には天皇陵もありました。
朝護孫子寺・信貴山城
信貴山城に向かうとき、ひさびさナビにやられました。
信貴山山頂に導かれ、とんでもない山道へ。
危険を感じて…それでもまあまあ危ない場所でUターン。
引き返しましたが、あぶないあぶない。
また苔でコケるとこでしたね。笑
ぐるっと回って、朝護孫子寺ってお寺に到着。
駐車場のおじさんに聞くと、ここが信貴山城に行くルートとの事。
「ほらぁー安全なルートあるやん、めっちゃあぶなかったやん。」って心ん中でブツブツ言ってました。笑
そしてなぜか…駐車場代、サービスしてくれました。
ありがとう、駐車場のおじさん。
上記写真、見にくいけど4つの名峰が重なり合ってて、奥いちばん高い山が金剛山。
手前に向かって葛城山、さらに手前に岩橋山、いちばん手前に二上山。
写真中央ちょい上に、ナマコみたいにぬべぇって長い山が明神山。
ここに国道25線と大和川が東西に流れている。(左が東、奈良の町、右が西、大阪方面)
全部御堂にいた詳しい職員さんに、教えてもらいました。(ナマコの説明に納得。笑)
立入屋敷跡
信貴山城址碑から北へ山を下って行く。
どうやら最初ナビに導かれた山の中に入っていくようだ。
10分足らずで立入屋敷跡に到着。
重要な曲輪だったようだ。
松永屋敷跡
立入屋敷跡からさらに進んで、ここが久秀居住の松永屋敷跡。
南から登ってきて、朝護孫子寺があったりしててっぺん、てっぺんから北へ下って山ん中入ってきたりすると、こちらは裏側感満載なんやけど、でもこっちが北側で京都を向いていて久秀の屋敷がある。
なのでこっちがきっと、城郭のメインなんやと思う。
松永屋敷からさらに山を下って行けば、先に高安城などがあるようでした。
ここから朝護孫子寺に戻って帰路へ、帰り道、本堂へ寄ってきました。
いろんなお寺見てきたけど、鳥居の数、伽藍の大きさ、企業や個人名の記載の多さにびっくり。
駐車場に来た事はあったけど、登ったのは初めてで、こんなに大きなお寺やとは思ってなかった。
信貴山城も初めて登って、すごい、まさに要塞ですね。
さすが戦国の梟雄・松永久秀の居城でした。
片桐城(おまけ)
筒井城跡から10~15分ほどの距離。
10数年前、仕事でこの辺りに来たときの事。
城みたいな家やなぁって思って、案内板があったので読んでみてビックリ。
そして、このお宅の表札見てビックリ。
現在でも城跡にお住まいの、大名家の子孫の方のお宅です。
上記説明板によると、賤ケ岳七本槍のひとり、片桐且元の領地だったこの地を弟・貞隆が引き継ぎ、その子・石州が4代将軍徳川家綱の茶道指南を務めて、明治維新まで小泉藩大名家として生き残ったとの事。
その後は子爵として叙勲を受けられ、現在も財団法人高林庵・石州流茶道宗家の本部でもあるそうです。
うーん、まさに名家。
現在に残るお殿様のお宅ですね。
記憶にずっと残っていましたが、やっとゆっくり訪れて見学する事ができました。
後記
ひさびさピンチな山奥に突っ込んでしまいました。
あと100mも進んでたら、転倒リスクMAXでした。
それどころか谷底に落としかねない場所で…あー怖かった。
せっかくバイク屋の大将がピカピカにしてくれたのに、激ヨゴレ。
なので翌日きれいきれいしに、洗車場に連れていってやりました。笑
いきなりやけど、笑、株式投資もバイクも一緒やね。
思慮は熟慮、決断は速攻。
今回はギリギリ決断、結果セーフでした。
危険地帯(激細、苔、落ち葉、オフロード)には近寄らんようにせんと…旅に行けんようになっちゃうゾ。